
「お客様は神様なのか?」
お客様と直接向き合っている営業や販売員の方などは、こういったテーマに一度は頭を悩ませたことがあるのではないでしょうか?
「最高のサービスを提供するために、お客様を神様のように思って行動すべき」と考える人もいれば、そういう考え方がクレーマーを作る温床になっていると批判する人もいます。
元々、この「お客様は神様です」というフレーズは、三波春夫さんが発信したことがきっかけで多くの聴衆に広まっていきました。
しかし、三波春夫さんの公式HPを見ると、ここでいうお客様というのは客席にいらっしゃるお客様の事を指しているのであり、商店や飲食店、営業のクライアントの事を指しているのではないと丁寧に解説しています。
要は、言葉だけが先行してしまい、多くのところで捻じ曲がって伝わっているようです。
ここで私見を述べさせてもらうと私はお客様を神様だと思っている以上、本当に良い営業はできないと思っています。
新人営業の頃はまさにそういう姿勢だったように思えますが、お客様はお金を払ってくれる=機嫌を損ねるようなことは一切してはならない、こう考えれば考えるほど、自分自身の行動が委縮していきます。
新人時代に何とか仕事が欲しいと思い、電話で必死にこびへつらっていたら、隣で電話を聞いていた先輩社員から、
「お前の電話、相手をバカにしているようにしか聞こえんぞ」
と言われたのです。
その電話での会話というのは、
「すごいですね~、いや~すごいですね~、えっ?そうなんですか、すごいですね~、本当にすごい!」
常にお客様が何を言っても『すごいですね~』を連呼。
大してすごくない事まで『すごいですね~』なんて言っていたら確かにバカにしているようにしか聞こえません。
冷静になればすぐに分かることなのですが、お客様をあまり神様だと思いすぎていると萎縮しておかしな言動が生まれてきます。
そしてお客様を神様だと強く思えば思うほど、自分の言動に焦点が合ってきます。
本来、焦点を合わせなければならないのはお客様。
お客様が何に困っているのか、どういうことに不安を感じているのか。
数か月前に、娘が入院した時にお医者さんから薬の投与についての意思決定を迫られました。
投与する薬の内容、リスク、異変が起こる確率などを解説され、その上で「どうしますか?」との質問。
「おいおい、どうしますかって言われても専門家でもないのに意思決定できる訳ないでしょ!」
と思いましたが、おそらく病院側も色々なリスクを考えて、相手に決めさせる手順を取っているのではないかと思います。
しかし、これも内向きの視点。
専門的な知識もないのに意思決定を迫られる患者側からすると、たまったものではありません。
視点が内向きになればなるほど、コミュニケーションはおかしくなるものなのです。
お客様は神様でもなんでもない

「古いつきあい」というだけで値引き要求してきたり、サービスを強要してくるお客様に出会った事があると思います。
雑談を楽しむ程度に「古いつきあいなんだから」というのであれば、そこまで問題視する必要はありませんが、本気でいってくるお客様につきあう必要はありません。
『古いつきあい』を盾にとってくるお客様は、結局買ってやっているという姿勢。
本来、商品はその価値の対価としてお金が支払われるもの。
損をして買ってくれるお客様など余程の理由がない限りいません。
しかし、さも「お金を払っているから偉いんだ」と思っているようなお客様につきあう必要はなく、そんなお客様にはさっさと見切りをつけて本当にあなたの価値を理解してくれるお客様のところにいきましょう。
お客様は神様ではありません。
お客様のいうこと全てを許容するのではなく、できないものをできないと説明して、それでもゴネるようなら、さっさと見切りをつけて新しいお客様を開拓しましょう。
あなたに価値を感じてくれないお客様に時間を使うのではなく、価値を感じてくれているお客様に最大限の時間を使うべきなのです。

先日、おもむろに本棚を眺めてみると、ある懐かしい本が出てきました。
あまり思い出したくない過去でもありますが、今の自分自身の営業力の礎を築いてくれた時代の本でもあります。
その本とは、前職の社長が書いた本です。
社内だけに配布された自費出版の本のため、公には販売されていません。
その本を眺めていると意外にもまともな事ばかりが書かれてあり、弊社のモーレツ社員 岩山あたりが読むと恐ろしく共感して大暴走しそうな内容です。
その本を読みながら、ふと昔の事を振り返るとあることに気づきました。
営業=目標達成
というのは今でこそ大命題となっているのですが、よくよく昔の事を考えると、毎月、目標を達成するために仕事をしていたかというとそうではない自分に気がついたのです。
昔は月間の目標数値に関係なく、日次で数字を報告していました。
毎朝、早朝会議で
「本日は新規●件、融資を●万円、手形割引を●万円」
といった感じです。
ここで宣言する数値は、目標達成の進捗状況などは全く加味されません。
極端な話をすると、月の前半で月間目標を達成していたとしてもその数字は無視。
「今日、いくらやるんだ?」
と鬼軍曹のような営業部長から詰められるのです。
(ちなみに営業部長は当時30歳前後ですが、到底30歳には見えない風貌でした)
そしてその数字の進捗確認は昼の中間報告、夜の最終報告と1日計2回の確認があります。
定例の確認が2回というだけで、その合間、合間にも鬼軍曹から電話が入ります。
※当時、外線と内線の架電数が自動的に集計され、誰が何本電話をしているのかが一目瞭然でしたが、営業部長が1日に内線を80本掛けていた集計に驚愕した記憶があります。
(ちなみに営業部長の内線は全てド詰め電話です)
そんな強烈なマネジメントの中、1日1日をただひたすら必死に営業活動していたのです。
ある意味、目標よりも恐怖政治に焦点が合っていたかもしれません。
しかし、ただひたすら毎日、限界値を超えた営業活動をやっていると、終わってみると目標よりも遥か上に到達していたのです。
ただ目の前の営業活動を必死にこなすことで、いつの間にか目標を遥かに上回るという事をずっと実践していたのです。
目の前のことに集中してみる

目標未達成の1番の要因は何か?
それは「計画性の無さ」だと思います。
しかし2番目の要因は?と考えると、それはおそらく
「諦め」
月末や期末近くに数字が未達成に終わりそうになり諦める。
目標未達成が当たり前の人ほど、早々と目標達成を諦める。
この諦めが目標を未達成にしている要素としては大きい。
しかし、目標数字が達成しそうにないと思った時に、どうやって自分をコントロールすれば良いのか。
それは目の前の仕事に集中してみる。
一旦は、目標達成の事は頭から外し、目標達成に通じる行動をただひたすら限界値以上にやってみることに集中してみる。
あまり良い方法ではないかもしれませんが、もしあなたが目標達成に対して諦めの感情に支配されつつあるのであれば、目の前の活動に集中してみることが突破口を開くかもしれません。
追伸:諦めの感情が出てくる前に、前倒しで目標達成をしたいのであれば、まずはこのセミナーに参加してみてください。
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【大阪】2017/08/04(金):10:00~11:30

「ゆとり世代を逆に利用しろ!」
ある研修で思わずこんな事を口走ってしまいました。
先日、20代の若手営業向けに商談ロープレの企業研修をしていると、お客様と話す言葉としては不適切な言葉が出てきたのです。
さすがに、その言葉は40、50代以上の方が耳にすると不快感を与える恐れのある言葉。
意味が通じない訳ではないが、ビジネスの場では不適切かと思い指摘しました。
現在の20代のビジネスマンというと、ほとんどの方が平成生まれ。
いわゆる「ゆとり世代」と言われる世代です。
世間一般的には、「プライベートを優先する」「チャレンジ精神が薄い」「甘やかされた世代」「ストレスに弱い」などと言われています。
しかし、私の解釈ではこのような人間はどの世代でも一定数は存在し、特にゆとり世代だからどうのこうのという話でもないと思っています。
ただ、「ゆとり世代」と定義づけられたことと、世の中の多くの場所でゆとり世代についての情報が発信されることにより、悪い点ばかりが目につくようになっているのだと思います。
しかし、この事実は非常にゆとり世代にとってはフリな状況で、少しでも発言にミスがあると、
「これだから“ゆとり”は・・・」
とレッテルを貼られる世代になっているのです。
ある意味、ゆとり世代は世間から低く見られがちな世代に生まれてきたとも言え、人種差別といっても過言ではないかもしれません。
しかし、そんな時代に生まれてきたからこそ言葉づかいや礼儀に気をつけると「あれ?」と思ってもらえる。
「ゆとり世代なのにしっかりしてるね」という印象を与えるチャンス。
差別の世界には必ずしもデメリットだけが存在する訳ではなく、こういったメリットも存在するという事を忘れてはならないのです。
差別のある世界は悪い世界ではない

差別という言葉を聞くと悪い印象を持つ方が多いと思います。
人は全てにおいて平等にあるべき。
こんな清い心が日本人にはあるでしょう。
しかし、営業の世界では平等であってはならない。
「平等ではなく、公平であるべきだ」
こんな言葉を新人営業時代に叩き込まれた記憶があります。
平等とは、報酬が平等に与えられる機会を設けるということ。
公平とは、公に平等という意味で、単に均等という意味ではなく、内容を加味した上での平等という意味。
要は、公平は成果を上げている者は称賛され、上げていないものは同様には扱われないという意味です。
一見、信賞必罰を明確にするという事なので、厳しいことに思えるかもしれません。
そして今の時代にそぐわないと考える方もいるかもしれません。
しかし、この差別があるからこそ、逆に目標を達成した時にプライドが持てる。
そしてこの差別が色濃く出る営業という職種だからこそ、あえて「会社を食べさせている」ぐらいの事は思っても構わないと、私自身は強く思っています。
追伸:ゆとり世代の暴言についてネット検索していると思わず笑ってしまう内容が書かれていました。
先輩社員に「了解しました」と伝える際に「りょ!」と言ったそうです。
そんな人間が本当にいるのかと思いながらも、笑いをこらえることができませんでした。

先日、あるクライアントでの研修中、、、
休憩時間にある営業担当者と雑談していると、こんな事を言われました。
「以前、営業をやっていましたが、営業をやっていたとは言えないぐらいのひどいレベルだったので、、、でも今回は絶対に成果を上げたいと思っているんです」
この話を聞いて私は「過去にうまくいっていない方が、成果を上げることはできますよ」と返答しました。
その返答は、この営業担当者を勇気づけようと思って言った訳ではありません。
実は明確な根拠があってこのように返答したのです。
どのような根拠かというと、私は世の中にあるノウハウのほとんどがコンプレックスから生まれていると思っています。
例えば、以前流行した「断捨離」
あれは元々片付けが苦手だった人が生み出しています。
そして数あるダイエット本。
様々なダイエットの方法が世に生み出されていますが、これも様々なダイエットをしても全くうまくいかなかった人が生み出しているのではないかと思います。
そしてコンプレックスがあるという事は大成できるチャンスでもあると思っています。
例えば、過去の自分を振り返ってみてもよく分かります。
私は次男坊で、兄がいたという事もあり何でも器用にこなす人間でした。
例えば、スポーツ。
小さな頃から年上と一緒に遊ぶことが多く、年上に負けじと動くことにより高い運動能力が自然と身に付いていきます。
そのおかげで、小学校時代のソフトボール部では4年生からレギュラー。
そして中学でもテニス部キャプテン。
スキーやスノーボードを初めても、すぐにある一定のレベルにまではたどり着きました。
どんなスポーツでも、ある程度器用にこなせるためコンプレックスを感じることはありませんでした。
また勉強も、先に兄が色々と挑戦してくれているおかげで、私はその良いとこ取りをして、あまり苦労せずに一定の成績を得ることができました。
ある意味、スポーツも勉強もあまり苦労した記憶はなく、楽な人生を歩んできたのです。
しかし、何の苦労もなく歩んできたものの全てが何一つ大成していません。
スポーツもソコソコ、勉強もソコソコ。
自慢できる程の結果は何一つありませんでした。
しかし、そんな私が唯一味わった屈辱が営業成績。
今まで何をやっても器用にできたので、営業も中の上ぐらいはいけるだろうと高をくくっていたら結果は下の下。
入社から1年半は、劣等感で気が狂いそうになりました。
しかし、結果的にその苦しみがあったからこそ数年後には850名いる営業社員の中でトップ5%以内の成績を収め、そしてコンサルタントとなり書籍を出版するまでに至ったのです。
コンプレックスこそ大成の源泉

器用な人間は、今やっている方法を変えようとは思いません。
当たり前ですが、うまくいっている方法を変える必要はないからです。
しかし、不器用な人間はうまくいかないため、色々な事を考えます。
例えば、テレアポがうまい人間はテレアポでアポを獲得しますが、不器用な人間は悩み苦しみながら、見込み客を獲得するという本質を捉えて、それを達成するための別の方法を考えます。
インターネットで見込み客を集める発想を考えついたのも、おそらくリアル営業が不得手だった人が考えたのではないかと想像しています。
そして不器用さは努力というエネルギーを生み出すきっかけになります。
「うまくいっている事を更にうまく」というエネルギーよりも、「うまくいっていない事を変える」エネルギーの方が強いのは容易に想像できると思います。
そして不器用な人間は、常に自分の能力以上に努力しないと役割が全うできないという怖さを知っています。
実は不器用という事は卑下する話ではなく、そこから多くの物を生み出せるチャンスであり、圧倒的な成果を上げる可能性があると捉えることが正しい理解なのです。
もしあなたが何かにコンプレックスを感じているのなら、それは大きなチャンスです。
逃げずに取り組んだ先に、周りの人が手に入れることができない成果を手にしている。
そんな可能性が秘められていると理解してみてください。
追伸:この話をこの営業担当者にしたいと思っていたのですが、「コンプレックス」という言葉が急に出てこず、中途半端に話を終えてしまいました。
つい先日の健康診断でLDLコレステロール値が(8年連続?)「要検査」の判定でしたが、この数値と急に言葉が出てこなくなる症状に何らかの関係があるのではないかと恐怖を感じています。

社内で行われている勉強会に参加した時のこと、、、
ここ最近、社内でアタックスアカデミーと銘打った社内勉強会が開催され、その1つの講義に参加しました。
私が受講した講義は中堅・中小企業経営原論という講座で、中堅・中小企業の経営の「あり方」を学ぶ講座でした。
ここで紹介されている優良企業というのは業績が良いというだけではなく、従業員が本当に活き活きと働いている企業がピックアップされています。
そういった事例企業を見ながら、なぜそのような環境を実現できているのかを考える、こんな講義を受けているのです。
事例企業は10社ほど紹介されましたが、その中には私が住んでいるすぐ近くにある企業もありました。
しかもその企業は段ボール機械製造で日本のトップシェア誇る会社。
私が住んでいるベットタウン的な地域に、そんな企業があったのかという驚きもありながら、いくつかの企業を見ていきました。
私は元々、事例研究というと専らどのような儲けの源泉を構築しているのか、そして儲けの源泉を獲得している営業力やマーケティング力に非常に興味があります。
しかし、今回は営業力やマーケティング力ではなく、社員を大切にすることによって結果的に収益を生み出している企業。
一体、どんな事をしているのかと内容を見てみました。
各企業の取り組みは様々で
・毎年全社員から評価される「社長評価」
・会社の悪口を言う場の設定
・ボーナス支給の際に、社長が直筆の手紙を添える
・社員より5時間前に出社する
・750名もいる社員と1対1の対話をする
など、様々な取り組みを実施していました。
正直、経営者が社員のために尽くすというキレイごとで本当に経営が成り立つのかという思いが頭の中で錯綜していたのですが、ここに事例として出てきた経営者のほとんどが、それを本気で考え実践している。
以前、私は超資本主義の企業で育ってきたために、なかなかそれを受け入れることができない。
しかし、よくよく考えてみるとその超資本主義の企業は、たった20年で1千億近い収益を上げる企業に成長しましたが、わずか30年で経営破たん。
そしてその企業は社員を恐怖政治でコントロールしていたため、虚偽報告が蔓延。
ある意味、上の指示をやっているように見せかけてやっていないことが当たり前となっていました。
しかし、ここで紹介されている企業は社長が社員に徹底的に寄り添う姿勢を貫き、その姿勢が社員に共感を生み、そしてその共感が社員に行動を促したのではないかと、最後にはそう思えるようになったのです。
共感が人を動かす

共感は人を動かす大きな力を秘めています。
共感できる相手からは多くの事を受け入れますが、共感できない相手からは話を聞く事すら面倒だと思うでしょう。
ここで重要なのが、あなたの営業トークはどこを重要視しているか。
例えば、顧客から成功事例を教えて欲しいと要求されることはよくあります。
その成功事例についてあなたはある企業がうまく行った所ばかりを話していないでしょうか。
成功事例は聞くと感心はするものの、顧客にとってはまだ未体験の話。
その話に共感することはできません。
また、あまりうまくいった事ばかりを話しすぎると、自慢話にしか聞こえないこともある。
成功事例を話す時は、うまくいった話よりも、それを導入する前にどれだけ困っていたかを伝える。
導入する前の状態には多くの部分で共感できるところがあり、その共感が深ければ深いほど、その後の成功事例が際立つというもの。
もし、あなたが顧客に成功事例を伝えても、
「それはその業界だからうまくいったのだろう」と言われる機会が多いのであれば、一度、導入前の顧客の状況を詳しく話すことに意識を向けてみてはどうだろうか。